両手を膝に、屈伸運動。
「よう、アンフィ、今日も絶好調そうだな」
「......マスター。はいっ!」
立ち上がった拍子に、ピンクの髪がふわっと揺れる。
「うちのメンツは、アンフィにかかってるんだ。がんばってくれよ」
それはちょっとプレッシャ......? アンフィは苦笑いで応えつつ、今度は腕の曲げ伸ばしをして、体をほぐし、準備完了。
「おう、アンフィ。スラムの酒場が誇る、この最速の男に勝てるかな?」
後ろからかかった声は、スラムの酒場の主人、マノンだ。アンフィは振り向いた。
「! ......あなたは!?」
コロナの街の高級酒場が主催する、酒場対抗レースマッチ。
冒険者宿に泊まるアンフィは、今回、大通りの酒場の代表として、このレースに参加することになった。
相手がスラムの酒場であることは、さきほど、会場入りしたときにきいてはいたが、まさかその代表選手が......。
「ん......? キミは確か......」
「ヴィクタさん!」
ですよね――!? とアンフィは続けて、瞳を大きく開いて驚いた。
「なんだ、おまえら。知り合いか?」
連れてきた青い髪の若者と、目の前の少女の予想外の様子を見て、マノンが少しばかりいぶかしげに尋ねた。とはいえ、消すことない不敵な笑みは自信と余裕の表れか。
「マノンさん......あんた、またそいつ呼んだのかい」
相手選手を見たマスターが、なんとなく呆れたように言う。
「当たり前よ。うちの代表は、こいつ以外には任せられねぇ」
「? また、って」
そのとき、選手ふたりへ呼び声がかかった。
ヴィクタとアンフィがどのような知り合いなのかまでは結局、話がいかないまま、レーススタートの時間がやってきた。
「あの......、あのときは本当にありがとうございました」
スタートラインへ向かいながら、アンフィは軽く会釈し、礼を述べた。
「ヴィクタさんはこのレース、いつも出場してるんですか?」
隣を歩くヴィクタが、うなずいて答える。
「うん。毎回出させてもらってる。おかげさまで、滞在中はマノンさんの店の飲食代、タダだし」
それに――と、青年は悪戯っぽい微笑をつけて、加えた。
「賞金も、毎回ありがたく頂戴してるしね」
レースは、高級酒場の所有する、街から近い山地に造られたコースを使用して行われる。
コースは形状違いでいくつかあるらしいが、今回ふたりが走るのは、シンプルな楕円状のコースだ。そこを3周したほうの勝ち。
どうやら相手は走り慣れたかなりの強敵のようだが、エントリーしてから、自分もできるかぎりこのコースで練習してきた。アンフィは、自分の足と練習中のイメージを信じて、深く息を吸う。
息をはく。
「位置について――」
スタート――!!
「よーっし!! アンフィが前を取った!!」
マスターが興奮ぎみに声をあげてガッツポーズをした。
スタートダッシュが完璧だった。アンフィの長い髪が風になびく。コーナーを曲がる。練習の成果はしっかりとあらわれている。無駄なく緩急をつけて、ふたたびトップスピードで直線のラインを疾走する――。
1周目が終了。先頭はアンフィのまま、2周目へ。
「いいぞ......! そのまま......そのままいけ......!」
「......甘いな」
マスターの隣で見ていたマノンが、笑みを浮かべてつぶやいた。
「なに!?」と顔を向けようとすると同時に『ワァッ!!』と歓声があがって、マスターはすばやくコースへ視線を戻す。
スタートから不気味に一定位置を保って走っていたヴィクタが、急激にアンフィの真後ろまで迫っていた。
それは一瞬の出来事。
3周目突入ライン――息をのむ暇もなく、ヴィクタがアンフィを軽々と抜き去った。
驚愕めいた歓声が聞こえてすぐに、アンフィは相手がすぐ後ろへ迫っていることを察していた。
抜かれる――ッ!
そのとき。
「――頑張って」
(......!?)
ひゅんっと、わずかな風切り音とともに真横を駆けるその姿から......一瞬、声がきこえた。
足が止まりそうになる。いけない――。緩んだ気を強引に引き締めて、アンフィは走る。
全力。前を行く背中を追う。
『途中まで一緒に行ってあげるよ』
............思い出す。
レーシィ山で出会ったとき、不安を溶かした頼もしい笑顔。
『ほら、つかまって』
崖道をのぼりながら、すっと伸ばしてくれた腕。
宝のワナを解くまなざし。さりげなく、ロディタイトを手渡してくれたこと。不思議な言葉でモンスターを鎮めたときの、あの落ち着き。
『頑張って』
............耳元、ささやくような声............。
テープを切ることのなく、ラインを踏んでゴールしたアンフィは、それからゆらゆらと歩いて止まり、両膝に手を置いた。
「おいおい、どうした」
駆け寄ってきたマスターが声をかける。
「次こそ頑張ってくれよ」
地面を向いて息を吐いていたアンフィは、それを聞くとわずかに顔を上げた。
「すいません......。でも......次も出られるんですか......?」
そうとう気力体力を使ったのだろう......アンフィはふたたび頭を下に、一生懸命、息を整えようとしている。
マスターは「まあな」といった様子で笑った。......毎度のことだが、相手があれじゃあ、仕方がない気もする......。
その『あれ』が、こちらへと歩んできた。
当然!という余裕よりも、やはり得意満面といったほうがふさわしいオーナーのマノンは、あえて動かずその場から勝利のサインを投げかけている。マスターにとってはちょっとむかつくところであり、はたまた、やっぱりうらやましいところでもあり。
「お疲れ様。いいレースだったね」
アンフィはハッとした。とにかく応えて顔を上げようとした、そのとき。
「アンフィ!? ――大丈夫?」
上体がぐらりと背後に揺れて、倒れそうになった。......けれども、倒れなかった。
背中と肩を、ヴィクタの腕に支えられていた。
温かさを感じる。振り向けば、顔が、すぐそこに............。
「――だだだっ、大丈夫!! すいません......あっ、ありがとうございます!!」
アンフィはあわてて離れた。それから、ぺこりと深くお辞儀をして、はにかむような笑顔を見せ、ついでにマスターへ軽く会釈するので精一杯だった。
熱い。ドキドキして、目をあわせられない。
でも、ひと言ふた言マスターと会話をして去る、青い髪のそのうしろ姿を見つめる瞳は、今度は夢見心地で......幸せな、不思議なため息がもれてきて。
「......マスター。わたし、次も絶対にがんばります」
呪いを解くこと。
なくした記憶をさがすこと。
レースで勝つ............あの人に追いつくこと。
少女の一年は、目標いっぱいで忙しい。
〜 Fin 〜
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